2017年1月31日火曜日

インド旅行記②



 私個人的には瞑想というものに以前からほのかに興味があったのですが、やり方もイマイチよく分からないし、その技術、方法を学ぶことが出来れば、自転車の乗り方を一度覚えれば一生忘れることがないように、この現代社会を生きていく上で何かもう少し上手に降りかかるストレス等をやり過ごすことができるのではないか、今後の人生において何かヒントになることがあるのではないか、などとそんな虫のいい期待もいくらかは抱いておりました。


ネットでも少々検索しました。仏陀が悟りを開くに至ったといわれる瞑想法、『ヴィパッサナー瞑想』では、この瞑想法を教えるセンターが世界中に展開されており、とりわけインドには多くのセンターがあり、ホームページを見ると、とてもしっかりしていて日本から予約もできるし、特に迷うことなくこの瞑想コースに参加することに決めました。


奥さんは少々ヨガを齧るので、インドに行ったら私がその瞑想コースに参加している間、ヨガ教室でも行ってなさいよ、と話したのですが、このヴィパッサナー瞑想のHPを読むうちにワタシもやると言い張り出しまして、結局二人とも参加することにしました。しかし私はなるべく瞑想に集中したいのでコース開始日が一日違いの別々のセンター、奥さんがジャイプルで私がそこからバスで3時間程離れたプシュカルというところのセンターを予約しました。




さて、瞑想の話は少し後回しにしまして...




 インド入国初日と2日目はデリーで旅行者が集まる通りパハール・ガンジ(メインバザール)に宿を取りました。ほぼ20年ぶりに訪れたこのストリートの情景が、私の記憶に残っているこの場所であるはずの情景となぜか全く重なりませんでした。東西南北はとりあえず別にして、記憶では“横”に通ってるはずの道が、実際に来てみると“縦”に通っているような、うまく説明できませんが、とにかく何か少し不思議な感覚です。









しかしながら、人ごみに、散乱する道端のゴミに、10メートルも上を向いて歩けばまず踏んでしまうであろう牛糞犬糞、店員さんが店の前をホウキで掃くと土煙がもうもうと舞い、ほんとはマスクをしたいくらいだけどなめられるのは嫌なのでしない(持ってないし)、という日本と全く違う混沌とした雰囲気に、やはりインドだなあと感じます。デリーの大気汚染は北京以上だ、というネット記事も読んだ記憶がありますが、確かに陽が沈むだいぶ前でも太陽を直視できますもんね。




因みに奥さんは日本とのあまりのギャップに視線がキョロキョロと落ち着かなかったのでしょう、インドに来て初めて外に出歩いた時にすかさず犬のうん○(まだ生々しいやつ)を踏みました。宿泊したそれなりに最安ではないホテル館内の階段にも、「これ、どう見てもう○こだよなあ。」というしっとりとした物体がオーパーツのように佇んでいたりして、何故ここに?と初めは訝しく思ったものの、(まいっか、インドだし。)とすぐにスルーしてしまう自分がいました。インドに来てしばらく経つと、乾いている牛の○んこだったら多少踏んでも気にならなくなります、というか完全に避けるのはもはや無理(犬やサルのは避けます)。







ニューデリー駅前のオムレツサンドイッチか何かの屋台のおじさんが、その屋台下のドブの蓋の穴周辺に食パンをポイポイ投げるとワラワラと10数匹のドブネズミが顔を出し、ガツガツ、ムシャムシャ元気いっぱいに食べていました。自分の屋台すぐ下でドブネズミ達を養っているらしい慈悲深いおじさんに、なんというかインドの凄みを感じました。そのドブネズミたちの写真を撮ったとしてもその美しさは写らないと思うけど、撮っておけば良かったと少し後悔した今回の旅行中でも上位に入るなかなかの衝撃映像でした。



このインドの衛生観念に対する懐の深さ、というかユルさ、20年前とちっとも変わってないなあ、と懐かしさで思わず遠い目をしてしまいそうになるのですが、ふと我に返ると、インドのみなさんそれでいいんかい!とツッコミたくもなります。たぶんインドには『十年ひと昔』にあたる言葉は無いか、『百年ひと昔』とでも言うのではないでしょうか。知りませんけど。

〈続く〉 


0 件のコメント:

コメントを投稿