2018年6月4日月曜日
ワールドカップ前に思うこと。
今月は4年に一度のサッカーの祭典、ワールドカップが始まります。
私もサッカー好きの端くれなので楽しみです。しかしながら我らが日本代表は若干期待値の薄い状況になってしまっていますね。
ショッキングなハリル監督解任から今までの日本代表情報は、私もネットなどで逐一チェックしていますが今回の一連の騒動は残念です。個人的には、いくら直近の試合結果がイマイチだったとしても予選突破を指揮したハリル監督に本戦を託せば良かったと思ってます。
一部の選手の進言やスポンサーへの忖度でハリル監督がクビになったなんて、ほんとかどうか分からない報道もよく出ていますが、その一部の選手の言動などから想像すると、本当のところはもちろん分からないけれど近いところが真実なんじゃないか、との印象は持っています。オシムさんのこちらのコメントなんかは流石だと思います。まあ選手たちはこの悪い流れを何とかしようという考えからの行動だと思いますので選手を非難するつもりはそれほどないですけれども。
もしも選手側からあの監督じゃあダメなんで替えてほしいなんて声が聞こえてきたらサッカー協会の偉い人は言ってやればいいんです、『あれぇ、ウチの代表にメッシ居たっけ?』って。
個人的に何よりも残念なのは、現状であまり期待が持てないということよりも、むしろ万が一勝ち進んでいった場合、それはそれでモヤモヤが残るであろう事が想像できることです。
期待値が低い中で逆に良い結果が出るのもよくある話。多くのサッカーファンが『ソレミタコトカ!』とタタキ待ちしていることを選手たちも相当な危機感を持って自覚していると思います。だからこそ選手が一致団結し、普段以上の力を発揮して、丁度運も味方したりなんかして思いのほかケチャップドバドバ状態でグループステージ突破、ベスト16、ましてやベスト8までなんかいっちゃったりした時、果たして100%純粋に喜べるのか?ってところなんですよ。
『結果が全て』なんて言葉をよく見かけます。ヤフコメなどに『結果が全て』というドヤ顔コメントとそれに対する多数の赤ポチなんかよく見かけますが、個人的にはこの言葉には全く同意しかねます。結果は大事、とか非常に重要とかならば全然納得しますが、全てではないだろう、と。
私だけじゃないと思いますが、スポーツを観戦するのは、勝ったか負けたかだけに関心があるからではないでしょう。
例えばボクシングで明らかに負けているほうがジャッジの判定で勝ちという結果を得たとしたってシラケるだけじゃないですか。スカッとしたいとか、おぉスゲエと感心したいとか、究極的に言うとこっちは『感動』したくて観るのですから、勝ち負けという結果が必ずしもそれと一致するわけではないんです。
オーバー40らしく古い例を挙げると辰吉丈一郎選手と薬師寺保栄選手の試合とか、私は辰吉選手を応援していたので試合は敗れはしましたが激アツの戦いが観れて胸アツでした。結果が全てという考え方だとこの試合ですら価値無し、ということになります。
もひとつ言うと、結果が全てという言葉には時間軸が存在しません。結果が出たその時点で、…and they all lived happily ever after. めでたしめでたし、って終わらないですから。それぞれの人生は結果が出た後も続きますし、『塞翁が馬』って言葉もあるように、良いことがあっても実はそれが将来的には良いことじゃないのかもしれない、逆もまた然りってこともありますから、今回の根拠のあやふやな監督の更迭から続くグダグダした経過を顧みると、予想以上の結果がもし出たとしても、『よかったよかった。ハリルやめさして正解。めでたしめでたし。』で終わっていいのかはかなり疑問です。ベスト16や8まで勝ち上がったとしても、ハリルさんが指揮していたらもう一つ上に行けた可能性も絶対に無いとは言えないのに…。
ワールドカップは4年に一度のお祭り、みたいなもんです。日本代表が勝ち上がっていったらただただ純粋に喜びたいのに、勝った時に何かモヤモヤが残るような状況を作ってしまったサッカー協会のお偉方の罪は重いと思います。
…という個人的な意見をうだうだと真面目に書いてしまいましたが、日本代表を応援していない訳ではないので選手たちにはがんばってほしいです。
とにかく4年に一度のワールドカップ、日本代表だけではなく楽しみにしています。
阿蘇ベースでは大概ワールドカップ開催期間中の予約状況は梅雨時と重なり低調気味ですが、火口見学再開の影響か5月も予想以上にゲストさんに来ていただきましたので、ちょっと一息つきつつ、ぼちぼちワールドカップ観戦も出来たらなと思ってます。
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