2017年2月24日金曜日

インド旅行記⑩



 マクロードガンジからデリーへはバス1本で繋がっていました。私たちは夜行に乗りましたがこの夜行バス、夕方6時に出発して朝の6時にデリーに到着する予定だったのですが、2時間も早く到着しやがりました。こんな早朝くに到着のバスならちゃんとインドらしく12時間遅れてくればよかったのに、まだ辺りは真っ暗で半分寝ていた午前4時ごろ、乗務員さんに「着いた、降りろ。」と言われて、へ?もう着いたの?とキツネにつままれたような状態になりました。休憩もほとんど無しですっ飛ばしてるなあと思った。きっと運転手さん早く仕事終わらせて帰りたかったんでしょう。こんなところもさすがインド、様々な角度から不意打ちを食らわせてきます。




 降ろされたところはバスターミナルのはずなんですが全然バスターミナルっぽくなく、辺りもまだ全然暗いのであまり周囲の状況が見えないのですが、要するにただの広い高速道路のような道の道端でした。バスの乗務員もここがISBT(Inter State Bus Terminus)だっていうんですけど、え、ここなの?って感じです。その旅行者心理を見透かしているかのように、ここぞとばかりトゥクトゥクドライバー達がワラワラと寄ってきます。そして、「デリーの街はここから遠い。35キロある。500ルピーだ!」などとこきやがります。こいつらは悪いですよ。ここがISBT近くなら、オールドデリーで予約した今晩のホテルまで4㎞程度のはずです。相手にせずに行こうとしたらいきなり250ルピーに下がったりしました。おそらく相場の軽く5倍以上はふっかけているでしょう。ふっかけるのも2倍までにしとけや、と思いますね。やっぱりデリーの旅行者が通過しなければならないポイントにはこんな輩が多く、昨日までと違ういかにもインドの観光地らしい世界に、また戻ってきたなぁ、と気を引き締め直します。早朝にISBT(近くの道端)に到着される方はどうぞお気を付けください。






 デリーで結構驚いたエピソードをひとつご紹介しますが、インドではトゥクトゥクに乗る際、まず料金交渉の必要がありますよね。大事なのはおおよその相場を知っていることなのですが、人に聞いたり何回か乗ってみるうちに、だいたいのところは分かってきます。私は基本的にはガツガツと声をかけてくるドライバーはなるべく相手にせず、停まっているドライバーに値段を聞くときが多く、聞いてみると、おそらくの相場から1.5倍から2倍位の値段を言ってくるドライバーがやはり多いでしょうか。私はさすがにもうなかなかのおっさんなので昔ほど1020ルピーで言い争いをすることもなく、相場よりおそらく230ルピー高くらいならまあ外国人チップみたいな意味合いで良しとしてしまう時も多かったです。


 デリーで会ったそのドライバーは歩いている私たちの横を追い越すとき、他のドライバーも必ずそうするように減速しながらじっと私たちを見て、そして若干控えめに「トゥクトゥク。」と言ってきました。トゥクトゥクに乗るつもりだった我々はそのドライバーに行き先を言い、ハウマッチ?と聞きました。目的地はそこそこ遠く、おそらく相場は100ルピーくらいだろうと見積もっていたのでまずは100ルピーと言い張って、場合によっては120までなら良しとするか、くらいのつもりでした。この場合はドライバーの言い値スタートが150200ルピー辺りがまあ順当で、もしスタートから200以上ふっかけてきたら、さっさとほかのドライバーを探そうと考えていました。
そしたら彼は事も無げにこう言いました。「エイティルピー。」私は思わず「ノー、ハンドレットだ。」と言ってしまいそうになりました。交渉なしでトゥクトゥクに乗るなんて初めての経験で、デリーにもこんな正直者のドライバーもいるんだってことを知って少し驚きました。目的地に着いた私はこのチャンスに100ルピー札を渡し、「お釣りはとっときなよ。」としっかり粋がったのでした。


 また、他のあるドライバーは私が伝えた行き先を、『分かっている、みなまで言うな』とばかりに意気揚々と私たちを乗せて出発しました。目的地に近づき、私は、アレ、ここ曲がるはずなんだけどなあと思いましたが、まあ次で曲がるのかなと思って黙っていると、そこも直進してしまいました。さすがにすかさずそっちじゃない、もう過ぎた、と言うと、ああ、そうかと悪びれもせず、同車線をUターン(逆走)しようとします。私はマ、マジか?と青ざめました。なぜならその道路は交通量がすさまじく、まるでイワシの群れが泳いでいるような状態だったからです。(下の動画の大通りを逆走しました)


 いやもういいからここで降ろしてくれ、と言う前にあっという間に渋滞しながら向かってくる自動車、トゥクトゥク、さらには大型バスにも周りを囲まれ、もう降りたくても降りられる状況じゃありません。彼はけたたましくクラクションを鳴らし、またそれ以上に鳴らされしながら(そりゃそうだろう)、それでもギリギリのところで擦ったりぶつかったりすることなくじりじりノロノロすすみ、やがて徒歩の10倍以上の時間をかけて交差点までたどり着きなんとか無事に曲がることが出来ました。なぜ大人しく次の交差点まで行って逆走でなくUターンしないのだ、という疑問は残りますが、それも海外からのお客さんをドキドキハラハラと楽しませたいという彼なりのおもてなしなのかもしれません(そんなわけないが、確かにジェットコースターくらいのドキドキハラハラ感はあった)。





 デリーではあとは1泊してお土産買って帰るだけですが、ひとつどなたかのインドブログで拝見して興味をひかれた日本食食堂へ今回のホテルからは若干遠かったですが無理矢理行ってきました。


今日飛行機乗って日本に帰るっていう最終日に日本食かよ、とも考えましたが、日本人バックパッカーには有名なところらしく、ちょっとした話のネタにもなるかと思いまして最後日本食食べてきました。


 オクラ丼とけんちゃんカツどん丼。うーむ、おそらくこのお店はバックパッカーの元料理人けんちゃんさんがレシピを伝授したのだと予想します。正解は分かりません。インドのカレーでもよく使われるオクラを、キッコーマンのしょうゆ(←インドでは神調味料)を垂らして空気が入ってふわっとするまでよーーくかき混ぜ、あまり日本人以外は慣れていないであろうねばねばを前面に出した、このような日本人が懐かしむ味のどんぶりに仕立てるとは目の付け所が素晴らしい。これ、日本帰ったら同じように作ってみよ、と思いました。かつ丼もなかなか本格的でおいしかったです。ないものねだりなのはわかっているけど、あとは米がインドのじゃなかったらなあ。




インドなので最後まで、具体的には空港のイミグレーションを抜けるまで何かと気が抜けませんでしたが、特にトラブルもなく、無事に出国手続きが終わった時はほっとしました。



 福岡空港に着き、約一か月ぶりの日本でバスに乗って車窓から外を眺めると、まず道路のあまりのきれいさに目を見張りました。「これ、全然地べたに座れるね…。」「寝っ転がれるよ。」と周りの人が聞いたらなんだか奇妙な会話になり、また車内のあまりの静けさにはちょっとした違和感を覚えました。

 家に着いたらキキ(犬)とぎん(猫)は喜んで迎えてくれましたが、もう一匹昨年猫好きの友人が山で拾って里親を探していたので引き取った新入り猫 その友人の一文字を取って“ぐぅ”と名づけました)は1ヵ月ぶりの私たちを見て『だ、誰?』って感じで逃げ回りました。でもしばらくしたら思い出してくれたようで、その夜にはこうなりました







という訳で、ダラダラと書いてきましたインド話、とりあえずここまでで一旦区切ります。やっぱりインドはいろいろな面で日本とあまりにも違い過ぎて刺激が強い国ですね。 “ヒートショック”という言葉がありますが、中には“インドショック”から、帰国後の生活がずいぶんと違った方向に向かってしまう人もいるようなので、これからインドに行かれる若い方は少し注意が必要かもしれません。まあ実際のところ、そうなったらそうなったで逆に面白いんじゃないかと思いますけどね。

今回私たちは期待というか予想通り、“バケーション”要素はかなり控えめで、この年で久しぶりに“旅”っぽい旅行だったように感じるのは、やはりインドという国のおかげだと思います。奥さんも、なにかと「インドはなかなかすごかったなー。」と満足気(?)です。

インドという国は好きか嫌いかはっきり分かれる国だとよく言われますが、私は好きか嫌いかと聞かれたら、結構迷います。広いですからバラエティ豊かなたくさんの見所がありますし、バスや電車など交通機関も全土に張り巡らされており、慣れないと疲れることは疲れますが決して旅行し難い国ではないと思います。
ただやはり、どうしてもインドと下痢はセットになりますからねえ…。


それでもうーん、どっちかって言ったら私はやっぱり好きかも。






 読んでくれたみなさまならびに留守の間猫の世話をしてくれた父、そして阿蘇ベースの長い冬休みを「仕方ないねえ。」と寛大な心でご容赦してくださる阿蘇ベースリピーターのみなさまに感謝致します。



それでは阿蘇ベース、明日から再開します!今シーズンもみなさまどうぞよろしくお願いいたします!








インドーー人ーー



みたいにーー



誰よりも図太いーー



インドーー人ーー



みたいにーー



なーによりも



したーたーかーにーーーー





ムリダムリダーー

ムリダムリダムリダーーOhーーーー












〈インド旅行記終〉

2017年2月22日水曜日

インド旅行記⑨



 このお店にメニューはなく、トゥクパ(汁麵)とモモ(餃子)だけのお店です。日本人に特別親近感を持っているのかわかりませんけど、店内には何故か着物の女性の写真が飾ってあり、ご主人は控えめだけど親切でとても感じがいいです。




ここでひとくち目を口にしたときは、思わず「むふっ!」とか何とか呻きました。日本で食べても普通においしいと思いますが、インドで三週間以上経ってから食べるとまず何か呻き声が出ますね。初めて食べるのにホッとする懐かしい味。マサラーに疲弊していた胃にこの上なく優しく染み渡る極上のスープ、麺にコシはないけれどそんなことは些細なことです。この味は日本に帰ってからも懐かしく思い出すだろうなとその時確信しました。モモも大変美味しいです。


 この写真はハーフ・ハーフと言ってトゥクパ半分、モモ半分(つまりこの写真の一皿で1人前)で、私たちふたり合わせて、つまりこの上の写真全部でたった150ルピー(300円弱)でした。しかもご主人がチャイも飲みなさいという感じで「チャーイ?」と聞くのでじゃあくださいとチャイも飲みましたがチャイはなんと無料とのこと(チャイは薄いけどタダは他にないと思う)。ここで食べていると地元のチベット人が結構入れ代わり立ち代わりやってきて慣れた様子でハーフのトゥクパをササッと食べて出ていきます。地元民ご用達の食堂という感じでしょうか。


 午前中はマクロードガンジのほとんどのレストランがまだ空いていない中、朝早くから開けていて(何時からかは知りませんが、8時半頃には開いてました)私たちは滞在中毎朝ここで食べました。ホントは他にもブログで見て絶対おいしいだろうなという、トゥクパ専門店もあって(ドライトゥクパのあるあのお店です)ぜひ食べ比べしてみたかったのですが、残念ながら滞在中ずっと閉まっていました。でもここだけでもオープンしていてくれてよかったです。場所はメインスクウェアからメインストリートが2本南に伸びていますが、もう一本、目立たないですが車は通れない細ーい道が一番西側に下ってます。そこを右側を気にして降りていけば見つけられるでしょう。メインスクウェアから歩いて1分もしないくらいだと思いますよ。






 しかし食べ物の話ばかりでいけませんね。まあ基本私の旅行など所詮花より団子です。それでもダライ・ラマ法王邸宅もあるツクラカンコンプレックスはもちろん行きました。私たちが行ったとき法王は不在でしたので、警備の方も若干リラックスした感じだったのですが、やはり思ったのが(質素だなあ)ということ。もちろん邸宅の中は入ることが出来ませんので分かんないですけど、ハリウッドスターも謁見に訪れると言われる世界のVIPの住まいにしてはとても質素な外観で、もうちょっと豪華でもいいんじゃないかなあ、なんて思ってしまいました。





 併設されているチベット博物館も見学しました。自分の無知を晒すようで気が引けますが、ここでかなり驚いたのが、チベットの領土だった地域(今ではもちろん中国の領土とされていますが)のことです。私はてっきり何々県だとかせめて四国とか、その程度の大きさだろうと勝手に想像していたのですが、実際はインドの2/3もの広さのある広大な地域であったということを初めて知りました。



館内では多くの写真が展示されているのですが、由緒あるチベット寺院が次々と破壊され、味も素っ気もない集合住宅が次々と建設されている写真を見るとやりきれない思いがします。現在も続くチベット人の抗議の焼身自殺もこうやってまざまざと見せられると、ハッとさせられるというか、これが現代社会のある地域では現実に、実際に起こっていることなんだということが信じられないような気になります。翻って日本では別種の不安感、閉塞感や息苦しさが社会にうっすらと蔓延しているような気もしなくはないとは言え、平和といえば平和なのでありがたいよなあとささやかな感謝の気持ちも湧いてきます。





 さて、そんなこんなでマクロードガンジでの滞在もあっという間にタイムアップです。冬季休業中でクローズしている食堂が多かったのは残念でしたが、この町は大変気に入りました。インドであってインドではない町というか。インドという国に身も心も胃袋もなんだかんだと小突き回されて疲弊してしまった長期の旅行者にはホッとするオアシスのような場所なんじゃないでしょうか。


〈続く〉

2017年2月19日日曜日

インド旅行記⑧


 リシケシから夜行電車に乗り最寄り駅のパタンコットまで行ってそこからバスでダラムシャーラーに到着する予定だったのですが、チケットを買ったリシケシの旅行代理店でパタンコットが終点かと聞くと自信満々でそうだと言っていたので安心して寝ていたら、到着予定時刻を2時間過ぎても電車が停まらず一応近くの乗客に聞いてみたらもう過ぎちゃったよと言われました。インド人の自信満々を過信してはいけません、絶対に。 
 よくよく冷静に考えてみると、『自信無さげなインド人』なんて、『清純派セクシー女優』みたいな、なんだか釈然としない非現実的な存在ですからね。全く油断しました。



 さて戻る電車もないですし、仕方がないので周りの人に聞きながらローカルバスでダラムシャーラーに向かいました。結局バスを4回乗り継いで、中にはホントにこんなとこで降ろされて大丈夫かなあと若干疑いを持ったこともありましたが、それほど迷ったり、長時間乗り継ぎ待ちをすることもなく半日遅れでなんとかたどり着きました。不愛想で若干デューク東郷のような威圧感のあるおじさん(軍人だと聞いて納得)も、私たちがダラムシャーラー言っているのを聞いて、ニコリともせず俺もそこへ行くから降りるとき教えてやると言ってくれたりして皆さんとても親切で大変有り難かったです。

ダラムシャーラーの中でも旅行者が集まるのはダライ・ラマ法王公邸もあるマクロードガンジというところです。




(マクロードガンジのメインスクウェア↑)



 ここはインドでも結構北の方で標高も高いので(1700m程)寒い寒いとはさんざん聞いていましたが、着いてみるとまあ阿蘇の方が全然寒いですね。なんだたいしたことねーな、という。町もこじんまりしてメインストリートはいろんなお店があり、道行く人もインド人とは顔の造りが違うチベタンの人々も多く見かけます。空気もいい気がするし、宿からの景色もいいし、私たちはすぐにここが気に入りました。そして3週間以上ぶり、インド入国以来全く口にしていなかった肉を食べました。バックトゥザノンベジワールドです。



(宿からの景色↑)


 モモという、いわゆる蒸し餃子を、メインスクウェアのすぐ近くのモモしかない庶民派専門店で早速食べたのですが、以前、といってもこれも20年近く前、ネパールで何度か食べたことのあるモモの味の記憶をだいぶ上回った美味しさで感激しました。久しぶりの肉ということもあるのでしょうが、それよりもネパールではその当時、味のシルクロード、通称『味シル』とか、かなりまともな日本食レストランもありましたし(今もあるのかな?)、タイの後だったし、インドの前だったしで、舌がまだ高飛車な状態というか、その有難みが理解できない程ナイーヴだったことが大きいんじゃないかと思います。
 今回はインドでしばらく小突き回された後なのでその味の有難さもよくわかります。アフリカとかアマゾンとかそんなところで長く暮らしている日本人の方はもっともっと切実に、そのような日本でなくともせめてインド手前のアジアの味に飢えるんじゃないでしょうか。




 ひとつまた思い出話なんですが、以前インドで2ヵ月目くらい、海外に出てからは半年くらいの時、インド最南端の町のある宿の部屋で私を入れて日本人男三人でしゃべっていました。一人は冬休みを使った学生さんの旅行者で、もうひとりは私と同じく長期旅行の方でした。そのうち自然と食べ物の話になって、その学生さんが粉末のインスタント味噌汁を持っていることが発覚しました。私たちは“ピクッ”と反応しましたが、意地きたないのはみっともないので「へー、そうなんだ。準備がいいね。ハハハ…。」などと至って何事もないのように紳士的にふるまっていたつもりでした。しかしその心優しい学生さんは、何かを察してくれたのでしょう、なんと
 「これ、いま3人で飲みませんか?」と申し出てくれました。

その貴重さを理解している私達は、「いや、いいですよ。」などと確か少なくとも一回はご遠慮申し上げたと記憶してますが、彼は「いや、いいですよ。飲みましょう。」と言い張ってくださいました。

「い…、いいんですか?」

私達の声は震えていたと思います。



その当時私が持っていたカップとコイルヒーターでお湯を沸かし、その神々しい粉末を投入します。そのカップを囲み正三角形になって座り少し待ちます。部屋にはティーセレモニーよりも厳粛な空気が充満していました。

各自お先にどうぞと遠慮しながらひとくち目を口にします。「ズズズッ…、はぁぁぁ…。」

ひと口、啜っては隣に回します。「ズズズッ…、はぁぁぁ…。」またひと口、啜っては隣に回します。「ズズズッ…、はぁぁぁ…。」


…。


何週目だったか、「最後…、いいっすか。」と誰かが言うまで、とにかく三人無言でした。


母親の味噌汁でもなく、奥さんの味噌汁でもなく、これが私の今までの人生でナンバーワンの味噌汁の思い出です。インスタントですけど。





 さて、ネットにはいくつかのここマクロードガンジに滞在した日本人旅行者のブログがあり、レストラン情報をかなり事細かく書いてくれていたので、そういった記事をかなりコーフンしながら丹念に読み込みました。ここのレストラン行かなきゃ、これも食べなきゃあれも食べなきゃ、とワクワクが止まりません。インドのカレー的な料理が必ずしも不味いわけではないですけど、それとは何かが決定的に違う、日本人の口にも合う料理がたくさんありそうです。しかもここでは評判のすこぶるいい、お値打ちな日本食レストランもあり、戦略的撤退というか勇気ある妥協というか(←そんな大層なものではない)、要するに「まあいいじゃないか、折角なので食べちまおう!」と、とにかく日本食も食べる気満々の腹づもりでした。

 しかしながら!




…やってない。ここもあそこも閉まってる。次の日も空いてない。その次の日も空いてない…。な、なんてこったい…。その日本食のレストランも毎年12月は休業ですって。(うーん、そうか、ここは今が一番のローシーズンなんだ。阿蘇と同じなんだ。)と大変残念でした。たしかにポツポツと外国人観光客が歩いているのを見かけるものの、そこまで多くないもんなあ。

まあしかし全てのお店が休みなのではなく、やってるところはちゃんとやっているので食いっぱぐれることは絶対にないのでご安心を。 



 そんな冬季休業中のお店も多々ある中、マクロードガンジの私たちのイチオシの食堂をひとつご紹介します。韓国人旅行者のブログで紹介されていたのを奥さんが見つけたのですが、日本人のブログでは私がググった限りでは紹介されていなかったようなので、おそらくそこまで日本人旅行者には知られていないかもしれないお店です。メインの通りではなくいわゆる裏通りにあり、なんてったって看板も出ていません。知らないと食堂だと気付かないかもしれません。



入口はこんな感じ。







〈続く〉