2017年2月13日月曜日

インド旅行記⑥


コース終了後には奥さんとプシュカルで落ち合い、数日過ごしました。このプシュカルは小ぢんまりとした町で、とても過ごしやすいところでした。メインストリートの幅が狭いながらもバイクはガンガン通り、聖なるノラ牛達がその狭い道を気ままに行き来してますが、レストランやお土産物屋さんもたくさんあり、いつも多くの人々で賑わっていて活気があります。聖地であり観光地でもあり、旅行者がついつい長居してしまうところだというのも納得です。




前回のインド旅行では入国後1週間ちょっと過ぎに酷い下痢をして、その後しばらくインド料理のマサラ臭を体が全く受け付けないようになる、『カレー、ダメ、ゼッタイ!』という期間がありました。今回私自身は大丈夫だったのですが、奥さんがヴィパッサナー瞑想コース期間中に、以前の私と同様に『カレー、ダメ、ゼッタイ!』状態になってしまっていました。ですので私たちはプシュカルではパスタ、ピザのようなものばかり食べてしまいました。その国に行ったらその国のものを食べるという基本方針は、その時点でけちょんけちょんに丸めて蹴飛ばして捨ててやりました。
 

とにかく米、ごはんが泣きたいほど不味くて、ごはん好きの私もどうしても麺を選んでしまいます。タイとかでも米は日本と違って粘り気のない、言えばパサパサ気味だったと思うけど、タイでのごはんが不味かった記憶など殆どありません。でもインドの米は今回の私には格別にダメでしたね。多分とどめを刺された食べ物がフライドライスだったのが多少影響しているのかもしれません。



また今回気が付いたのは、20年近く前の前回のインド旅行ではパスタなど食べた記憶はないのですが(チョウメンはよく食べたと思う)、今では外国人旅行者もよく入るようなお店では、パスタ、ピザといったイタリアンがほとんどのお店のメニューにあるということでした。なるほど、ベジ(ベジタリン)でもパスタやピザなら大概不味くはなりませんからね。

Nirvana Cafeというレストランで食べた時、シヴァ神のようなヘアスタイルが目を引く、若干クセの強そうなそのお店のオーナーのおじさんが話しかけてきて、「ウチのピザ、パスタがもしもプシュカルの他の店より不味かったら、お代はいらんよ!」と豪語してきました。(おお、とにかくすげー自信だ)と感心したのですが、食べてみると、(なるほど、その自信、インド人だからというだけの理由ではないな)と納得しました。場所によってはチャパティにケチャップみたいなのかけてチーズとピーマンをのっけて焼いただけみたいななんちゃってイタリアンピザで200ルピー(400円弱)前後とかする(だってレストランのチャパティ110ルピーとかですよ)、偽ブランド品のようなお店もあるのですが、ここはしっかり本格派でした。注文したブロッコリー入りのクリームパスタなんかもうホント感激するくらいおいしかったので、こうしてここに書き残しておきます(写真は忘れた)。



もうひとつ特においしかったのが、店名は控えておくのを忘れましたがどこかメインストリートのフレッシュジュース屋さんのベジバーガーです。ベジなのにここまでウマいバーガーもあるんだ、とかなり感激しました。後に他の街で食べたベジバーガーとは雲泥の差、ダウンタウンとダウソタウソくらいの実力差がありました。因みにプシュカルはインドの聖地のひとつなので、ノンベジ、つまり肉類の出るお店は私の見た限りではなさそうでした。




それと今回気付いたのが日本では正月ぐらいしか出番がない、というか今ではほとんどソレで遊んでる人を見たことがない、凧(たこ)がどうも大流行りしているらしい、ということです。
いつから流行っているのか、ひょっとしたらジャイプルやプシュカルでは大昔からずっと人気なのかは分かりませんけど夕方近くになると子供らから大人まで、建物の屋上へ上がってきて、日課のようにせっせと凧揚げを始めます。みんな同じ大きさ、形で、色だけが違う沢山の凧が空に舞います。仕事から帰宅したらしいお父さんも隠居しているおじいさんも上手にできない子供に「ほら、こうやるんだよ。」と手本を見せたりしています。ようやく高く揚がったらお母さんに「ホラ見てー、」と呼びかけたりなんかして、「はいはい、すごいじゃない。」なんて言ってるっぽい光景は見ていて大変微笑ましいものでした。

子供らだけでなく、いい年をした若者も多く見かけます。日本では多くの若者が下を向いてスマホ画面をせっせと見ているだろう間に、インドでは多くの若者が空を見上げてひたむきに凧揚げしています。どちらが上でどちらが下かという問題ではありませんが、どちらがより深刻な問題なのだろうかと考えてみると結構悩みます。とりあえず凧揚げの方が健康的なイメージでしょうか。





続く

2017年2月9日木曜日

インド旅行記⑤



インド旅行記④の続き

私はプシュカルというところでその瞑想コースに参加し、奥さんはジャイプルで参加しました。私の方が1日早く始まって1日早く終わるのですが、ひょっとしたら奥さん、プシュカルの落ち合う予定の宿にすでに待っているんじゃないか、などとも想像しましたが、幸いにも彼女もなんとかちゃんとがんばって10日間コースを完遂しました。彼女は彼女で私が途中で辞めたかもしれないなあと考えていたようです。特に私は下痢でヘッロヘロのまま出発しましたからね。

その下痢はコース中になんとか治まりました。到着日と翌日は何も食べず、その次の日は朝のおかゆほんの少しとバナナ1本、3日目から出された食事をほんの少ーしずつ食べ始めたのですが、今までどこで食べても何度食べてもおいしいと思ったことが一度もない、インド人にとっての味噌汁みたいなものとよく言われるダル(豆)スープがその時初めておいしく感じられ、インド人にとっての味噌汁という表現に、(こんなショボい煮豆汁が味噌汁代わりとはなんとも可哀そうに…)といつも同情、というより上から目線で若干小ばかにしていた私のほうが実際のところ何もわかっちゃいなかったことに、下痢のおかげさまでようやく気付くことが出来ました。




プシュカルのセンターでの食事は、料理自慢の近所のおばちゃんが作っているんじゃないかというような辛くも脂っこくもない優しいインド料理で、病み(下痢)上がりの私にはとても助かりました。実際には修行中だからなのか病み上がりだからなのか分かりませんけど、毎日ほとんどお腹も空か大概少しずつしか食べなかったのですが、そこいらの安食堂で食べるより家庭的な感じがしてなかなか美味しかったです

しかしながら奥さんの方はジャイプルのセンターで、瞑想自体ももちろん相当ツライのですが、それに加えて食事にも相当苦しんだようでした。センターの規模が大きく、参加している生徒数がプシュカルより断然多かったみたいですし、味もキツくてかなり脂っこい料理も多かったそうです。やることは世界中どこのセンターでも同じなのですが、食事の質はやはりそれぞれ違うみたいですね。後に、同じ宿偶然この瞑想コースインドと日本で合計3回も参加したという日本人の方がいてちょっとお話を伺ったのですが、「食事は日本のが全然ウマいですよ!」と仰ってました。






プシュカルのセンターでひとつだけ困ったことは、あんな田舎なのにどこかその辺りにナイトクラブでもあるのか、インディアンテクノといいましょうか、重低音のリズムがドゥンドゥンドゥンドゥン…と延々続くような音楽が、ほぼ毎晩聞こえてくることでした。クリスマス、年末年始の時期だったから特別なのかよく分かりませんけど、基本的にこのコース中は疲れていてもあんまり眠くならなくて、しかもそんな俗っぽい音楽が聞こえてくるもんですからますます眠れず参りました。

 しかしまあこれも修行の一環、生まれては消え、消えては生まれるもの(というか音)、アニッチャー、アニッチャー…などと習ったことを無理矢理考えたり、フライドチキンとか餃子とかウナギの蒲焼きだとかが浮かんでは消え、消えては浮かびしているうちに(←聖なる沈黙が全くなってない)そのうち何となくウトウトして、なんか変な夢を見たと思ったら4時の起床の鐘が鳴る、みたいな毎日でした。修行中だからなのか昼間の瞑想中に眠くなるということもなかったけど、毎晩ちゃんと寝ている気は全くしないという。







コース終了時の達成感は本当に大きなものでした。10日目の午前中に聖なる沈黙が解除された時の静かな喜びは忘れられませんね。それからは他の生徒達と話が出来るようになるのですが、聞いてみると結構何回もこのコースに参加されている方々が多いのには驚きました。2回目という方ももちろんいるのですが(2回目からは“古い生徒”=“old student”と呼ばれます)、4回、5回とか7回目だという方もいました。私などは、『イヤ、もうとりあえず結構です。カンベンしてください。』という感じですが、何回も参加する人の気持ちが全く理解できないことでもないですね。



古い生徒である、あるインド人の参加者は、このコースに参加することはlife changing experienceだった、とそんな言葉で表現された方もいました。私自身、このコースをやり切った今、何かが大きく変化した、などというつもりは更々ありませんが、とにかくやってよかったとは思います。興味があって時間が作れる方には、ぜひおやりになってみてくださいとおすすめはしますね。もしもっと詳しく聞きたいことがある方がいらっしゃれば、阿蘇ベースに来て聞いていただければ私たちの経験したことでしたら喜んでお話ししますよ。



〈続く〉 


噴火警戒レベル1への引き下げについて

インド旅行記はすぐ続きますが、標記の件について少し意見を。


一昨日、阿蘇山の噴火警戒レベルが約2年半ぶりに昔で言ういわゆる平常時(活火山であることに留意)のレベル1に引き下がりました。昨年10月の噴火によるダメージの為、火口周辺までの立ち入りは今のところまだ禁止されておりますが、阿蘇の観光に従事する私共にとっては朗報と言えます。

朗報と言えばもちろんそうなんですけど、少しあまのじゃく的になりますがこういう時だからこそひとこと言っておきたいのは、昨年10月の爆発的噴火についてのことです。素朴な疑問が私にはどうしても残っています。


その噴火は噴火警戒レベルが2の時に発生しました。レベル2は火口から概ね1kmが立ち入り禁止ですが、噴火が深夜だったため、その噴火時、火口周囲3、4kmはおそらく誰もいない状況だったんじゃないかと思います。頭に当たったら即アウト位の大きな石は周囲1km外へは飛散していないんじゃないかと思ってますが、小石程度ならば1kmどころじゃなく飛散しました。


もしもその規模の噴火が真昼間に起こっていた場合、火口周囲1kmの外に時期によってはたくさんの観光客がいたはずなのですが、いったいどのくらいの被害があったのか、いやなかったのか、小石や火山灰の飛散は風向きが大きく影響しますが、風向きによっては観光客はもっと危険だったのか、じゃあどのように避難するのがベストなのかとか、あまりそういった検証がなされていないような気がします。それとも検証はしたけど報道は少し控えているのか、そういったところが私にとってイマイチ不明瞭なのです。

ひょっとしてそういったことに対してきっちりとした詳しい報道もあったのかもしれませんが、一応警戒レベル2の状態の時に起こったことだからまあなんとか大丈夫だったんじゃない、というようなフワッとした印象しか残っておらず、少なくとも私はよく知りません。



専門家でもない素人の想像ですが、もしその噴火時に観光客がロープウェー乗り場のある山上広場あたりにたくさんいたなら、死者が出るほどではないにしてもそこにいた人は相当恐怖を覚えたはずで、火山灰にまみれる人、小石に降られてちょっとした怪我をする人もひょっとしたらいたかもしれないと想像します。


今回レベル1に引き下げられましたが、だから警戒レベルは慎重にセフティファーストで、念には念を入れて、出来るだけ高いレベルに据え置いた方がいいと主張したいわけではありません。



いまでは地震が来る前兆を察知したら数秒前にも携帯の緊急地震速報がけたたましく鳴る時代です。

監視体制が敷かれている火山の噴火は、地震と違って数分前にはその前兆を捉えられることが可能だと言われています。以前にも何度かこのブログで主張したことがありますが、その前兆を捉えたら瞬時に自動的に火口周囲一帯に警報が鳴り響くようなシステムを導入できないものなのでしょうか。現状ではそういったシステムになっていないでしょうが、目指すべきはそこじゃないんでしょうか。たとえ警報が空振りだったとしてもそれほど大きな問題ではないと思いますし、今までいつも噴火してから警戒レベルを引き上げてますが、それではたいした意味がないことはおそらくみなさん感じているはずです。


そんな目に見えて大きな噴火など何年、何十年に一発単位なのですからその為に火口周辺立ち入り禁止であるレベル2以上の状態を長く留めておくのではなく、なるべく阿蘇の火口が観光できる状態を維持しながら、尚且つイザという時には瞬時に警報が鳴りとっさに逃げられる体制を構築してほしいなと、阿蘇山に依存した観光の宿としては願っています。

2017年2月6日月曜日

インド旅行記④



“ヴィパッサナー” (Vipassana)とは、『物事をありのままに見る』、という意味だそうです。この瞑想コースは10日間の合宿コースで、HPはだいたい読みはしたのですが、事前に本を読んだりネットのブログなどを探して内容を詳しく調べたりせず、ほとんど予備知識のないまま参加しました。自分としては、ちょっと教えてもらう、レッスンを受ける、くらいのやや軽い気持ちで応募した感は否めないのですが、終わってみると実際のところ、“修行”という言葉がぴったりくるような大変過酷なものでした。

4時に起きて夜の9時まで、途中途中休憩を挟みながらも110時間余り座って瞑想をします。また、Noble Silence (聖なる沈黙)と言って、この期間中、基本的にしゃべることは許されていません。“聖なる沈黙とは、身体・言語・精神の沈黙を指します。ジェスチャー、手話、メモ書きなど、一切のコミュニケーションは禁じられています(HPより抜粋)”


しゃべってはいけないことに関しては別に全く苦痛ではなくて、むしろ日本でも1年に1日くらいは『聖なる沈黙の日』というものを創って、家族間でもしゃべらない、お店も休み仕事も休み、電話はもちろん、運動も旅行も禁止、テレビも寄せては返す波打ち際とか、焚火とか、アリの行列とかを一日中流すような日があったらいいのにとさえ思ったのですが、とにかく決められた時間座っていなくてはいけない、動いてはいけない、という恐らく刑務所より自由を束縛された状態の10日間は長いです。10日って、普通に暮らしていたらなんとなくサラッと過ぎてしまう期間ようにも思えるのですが、ここではコースが初まって数日は、このコースが終わることが全く想像もつかない遥か先の遠~~~い未来のように感じて大袈裟でなく戦慄しました。





小さめ体育館の様なホールに個人個人決められた場所に座布団が敷いてあり、全員がそこで瞑想をします。1日目が終わり次の日には私の右隣がいなくなり、3日目、4日目にもポツポツ空きが出来ていきます。途中リタイアする方がちょこちょこいるのです。



5日目まできて、私の目の前の席で惜し気もなくプップップップやっていたMr.ヘッコキ君(あまりにも頻発するので自然と命名していた)も居なくなりました。前日の休み時間に誰かと二人でニコニコしながら林の方に石を投げて遊んでいた彼の姿を見かけたのですが、翌日、目の前にぽっかり空いた席を見て、その時の彼の、素っ頓狂だが無邪気な笑顔の意味を知りました。瞑想中一発こかれる度に、(おしりにも“Noble Silence”を適用してくれないかな。)と若干心を揺さぶられていた私は、正直ちょっとうれしかったのですが、そんな私は全然修行が足りないのでしょう。





私が参加したプシュカルのセンターでは男性はおおよそ40名弱程度でしたが、7名前後は途中でリタイアされたかと思います。後で聞いたのですが、このコースは4回目だという方によると、インドではほとんどの参加者は真剣で脱落者は少なめだったけど、オーストラリアでこのコースに参加したときには半数は途中でいなくなってたとのことです。

でも途中でリタイアしたみなさんの気持ちは私にもとてもよおく理解できます。たださすがにコレをメインの目的としてインドまではるばる来て、しんどいので途中で辞ーめた!となったらあまりにもヘタレすぎてご先祖様にも顔向けができませんし、下手したら一生の汚点になりそうだったので必死でした。



瞑想方法についてはここで説明することは控えます。実際に参加してみるのが一番だと思いますが、自分がぼんやりとこんな感じなのかなあと想像していたものとはだいぶ違いましたね。

4日目にようやくヴィパッサナー瞑想に入るときなど、『おぉっ、そう来るのかっ!』と膝を打ちたくなるような、何かマンガのような、例えば進撃の巨人で巨人の正体が明かされる時のような(昨年後半、完結を待ちきれずに全巻買ってしまいました。阿蘇ベース図書棚に置いておきます。)ドラマチックな展開で興奮しました。



コース期間中には私もそこで教わったことをある程度実践できていたと思います。10日間最後まで真剣にやり切った参加者は、程度の差こそあれ、必ず皆出来るようになるはずです。

もしこれがコースに参加せずただ口頭で教えてもらったり、ただ本などを読んだりしてやり方の知識を仕入れた方も同じように出来るものなのか、それともこのコースに参加して、Noble Silenceや朝早くから夜まで一日のほとんどを強制的に座って瞑想しなければならない、ある意味日常とかけ離れた肉体的にも精神的にも苦しい状況だからこそ身につけることができたものなのか分かりませんが、やはり後者のほうが身につけ易いことはおそらく間違いないと思います。

動かずに座っていること、というのは私のような未経験者にとっては想像以上に“肉体的に痛い”ことでした。痛みを観察する、客観視する、ということも重要なキーポイントになるのですが、ひとりで一日10時間動かずに座って瞑想してみよう、とたとえ決意したとしても、何か余程の動機があり、しかも相当強い意志をお持ちでなければ実際はなかなか実行できることではありませんからね。




しかし、本当に、最後まで、特にNoble Silence10日目に終わるまで、ずっと辛かったです。1日に3回、各1時間のグループ瞑想が、いわば本番ともいえる特に大切な集中しなくてはいけない時間なのですが、この10日間で、えっ、もう1時間経った?と感じることが出来たのはほんとにわずか12回くらいでした。あとは1時間経つ前に少なくとも一度はもうそろそろ終わりだろー、まだかなーって考えずにはいられませんでした。何度も言いますが、ただ座ること、たったの1時間、ただし全く微動だにせずに座っていることがこれほどまでに過酷なことであるとは今まで想像すらしたことはありませんでした。





コース終了後に、『池上彰と考える、仏教って何ですか?』という本を再読したのですが、“ブッタは消耗するばかりだった苦行に別れを告げ、現在のブッダガヤーにある菩提樹のふもとで静かに瞑想に入りました。”という記述があり、ちょっと引っかかりました。私は、(池上さん、“静かに瞑想に入りました”なんてそんなサラッと書きますけどね、仏陀は悟りを開くまで何日でもここから絶対に動かない!という火の出るような覚悟で瞑想に入ったんですよ(←と講和で習った)。ただフワッと静かに木の下に座ったんじゃあないんですよ。)と、恐れ多いですが池上さんに心の中で解説してしまいました。もちろんそれまで仏陀が歩んできた人生の積み重ねがあったからこそ、そのような決意を固めることが出来て、そうして瞑想に入り7日目に悟りを得ることまでもできたんだろうけど、私自身たったの1時間座って瞑想するだけでも(1時間絶対に動くまい!)とそれなりの覚悟をして始めていたのを思うと、ブッダの瞑想に入る前の覚悟の重み、凄みというのがもっと身に染みて理解できてより一層畏敬の念を持つようになりました。


〈続く〉 


2017年2月3日金曜日

インド旅行記③



インドを旅行する日本人の10人中10人が下痢をするわけではないでしょうが、基本的に私のように胃腸がさほど強くない人が、そのへんの最安クラスの食堂や屋台で毎食食べてたら、おなか壊すまでまず1週間とかからないのではと個人的には考えています。


インドへ向かう飛行機の中、斜め前の座席の人が現代版インベーダーゲーム的なシューティングゲームをやっていてなんとなく目に入ったのでしばらく眺めていたのですが、自分が操作する機体には何重かのバリアーが張ってあり、敵の弾に当たるとひとつひとつそのバリアが剥がれ、最後バリアがなくなって弾に当たると機体が大破してゲームオーバーになるようなゲームでした。



インド初の食事はデリー駅近くの庶民派食堂でインド的な朝定食を食べました。





20年近くぶりの本場インドの味を(あーこれこれ、実際のところあんまし口には合わないけどこの味。)などと懐かしく思いながらながらきれいに平らげ、大好きなインドのチャイも飲みまずまず満足しましたが、食後私のお腹バリアーが一枚剝がされたことをはっきりと感じました。

その後、それなりに庶民派以上のベジレストランへ行ってカレーを食べてみまして、さすが若干きちんとした服を着たインド人で込み合う人気レストランらしくなかなかおいしかったのですが、かなりパンチの利いたスパイシーさで、お腹バリアがまた一枚破られるまではいかないまでも、ヒビくらいはいったかもしれない、バリアの上でお猿の軍団がドタバタと運動会をしているような衝撃は感じました。



そういったレストランではメニューが一応英語というかアルファベットで書いてあることはあるのですが、例えば“BOONDI RAITA”とか書いてあってもそれが何の事だか全然わからなくて、これから1ヵ月インド料理をいろいろ食べるぞと意気込んでいた私はこれじゃいかん、と思い、Paneerは白い豆腐のようなチーズ、Gobhiはカリフラワー、Palakはほうれん草、Bhindiはオクラなどと野菜名や料理名を調べて熱心にメモを取りました。



そんな私の意気込みとは裏腹に、ジャイプルに移動した3日目にはもうすでに私のお腹バリアーは一枚も残されていませんでした。





インド到着3日目の夕食、なんかちょっと遠くで雷鳴が鳴っているかのような不穏な気配を感じていた私は、一旦カレーではなく、“フライドライス”に逃げ込みお茶を濁したつもりだったのですが、そんな小心な安全策も空しくそこで大破、“GAME OVER”となりました。後で考えてみると、実際にはそのときすでに、「おまえはもう、下痢している。」と、北斗の拳で言えばケンシロウに背中を向けられている状態だったのでしょう。自分のお腹が強くないことは重々自覚していますし、インド1ヵ月なら下痢の一回や二回覚悟の上ですが、しかし我ながら早すぎて情けない。奥さんはまだ無事なのに。己の貧弱な胃腸が恨めしいです。


さあこうなったら私は何も食べません。水だけ。それが私の定番の対下痢ラ戦術です。ほんとはポカリスエットなどのスポーツ飲料がベストなので、宿近くの商店でSports Drink あります?」って聞いてみましたが、「はぁ?」って顔されました。仕方ありません。脱水症状になるといけませんので水は結構飲みますが、さすが敵に回すと厄介な“THEインディアンダイオリアー”、水を飲んだ分だけさほど時を置かずして水が出ます。汚い話で大変申し訳ありませんが、日ハムの大谷選手は二刀流、三浦カズ選手は今では年齢のことがセットとして語られるように、インド旅行の話にはだいたい下痢がセットとして語られることになるのでどうかご容赦くださいませ。


昔ボクシングの亀田興毅選手は「亀田とKOはセットや!」と豪語してネットで、『イヤ、“亀田と疑惑の判定はセットや!”の間違いやろ。』などとボコボコにツッコまれていましたが、「インドと下痢はセットや!」と豪語しても、中には「俺は大丈夫だったけど?」という人もいますけど、その場合はその方が日本人離れした強靭な胃袋を持っているか、それなりにちゃんとした中クラス以上のレストランしか入らなかったか、そもそも滞在期間が短く、お腹バリアーがダメージを受けながらも何とか持ちこたえたかとしか答えがないのでツッコまれる心配はありません。普通の日本人にとってインドと下痢は基本セットなのです(←断言していいのか?)。


地球の歩き方にも載っている、ジャイプルでとても有名らしい絶品ラッシー屋さんのラッシー、奥さんはこの旅幾度となく飲んだラッシーの中でダントツ一番だったと言ってましたが、私は諦めざるを得ませんでした。大変残念です。







 (↑毎度毎度、食べてから、飲んでから、「あっ、写真。」と気付く。)




さて、お腹が壊滅的な状態のまま、瞑想コースが始まりました。



〈続く〉